社長日記

2020.04.04
高校3年生の自分

20年前・・高校3年生の時、、
ちょっと変わり者だった自分は、将来の事など何も考えていなかった。考えていた事と言えば毎日をどう楽しく過ごすか。そんな高校生だった。就職なんてもってのほか、働きたくもなかった。そんな時、同じような考えを持つ友人のT君がいた。似たもの二人が考えた答えが「ミュージシャンになろう!!」
今考えれば、浅はかだったのかもしれないが当時は真剣だった。とりあえず、ギターを持って狸小路で路上ライブをやろう決めて、毎週週末には狸小路で歌った。忘れもしない狸小路4丁目の今は無き「YES電器」の前。8時の閉店と共に閉まるシャッターの前で、当時流行だった「ゆず 」を歌った。回数を重ねる毎にお客さんも増え、カンパも最初は1,000円~2,000円ほどだったが、徐々に1万円を超える程になってきた。活動も路上だけに限らず、ラジオに出演したり、イベントで歌ったりと幅を広げていった。お金も少しずつ貯まっていき、10万円を超えた時に二人で‟遠征”を計画した。「そうだ旭川に行こう!!」
貯めた10万円とギターを持って特急ライラックに飛び乗った。当初、お金を大切に使おうと言う事で野宿を覚悟して寝袋も持参していた、、が。狸小路と違って路上ミュージシャンの‟ライバル”が少ない旭川では回数を重ねる毎にどんどんお客さんが増えていき、それと共にどんどんお金も増えていった。ここで冷静に貯めていれば問題は無かったが所詮は高校生。食べたい物を食べ、旅館に泊まりと贅沢三昧してしまったのだ。10日ほどで資金は底をつき、最後はファンになってくれた女子大生が札幌行の高速バスのチケットを買ってくれた。なんと情けない・・・。
ただ成果はあった。歌手の玉○浩二さんの関係者の方の目にとまり僕達二人に声をかけてくれたのだ。帰りのバスの中で二人で大喜びし、再度旭川に行くことを誓った。
その後も何度か旭川に出向き、イベントで歌ったり、デモテープを東京に送ったりと活動した。玉○浩二さんのコンサートにスタッフルームから入らせてもらった事もあった。そして、高校の卒業が近づき二人で話し合った。そして出た答えが。「東京に行こう」
そして卒業後仲間と共に上京した。
・・・だが、東京はそんなに甘くはなかった。僕は人生で初めて挫折した。
何をして良いかも分からず・・。この時生まれて初めて「人生」を考えた。遅過ぎですよね。
気を取り直し、すぐに次の人生を決めた。”車が好きだから、車関係の仕事をしよう”
北海道に戻り学校を卒業し自動車ディーラーに就職した。その数年後私の父親である弊社会長(当時は社長)と話し合いこの会社を継ぐ事を決めました。
思えばバカな事ばかりして来たと思います。たくさんの方に迷惑と心配をかけてきました。ただ残念な事に今でも自分のやりたいと思う気持ちを抑える事が出来ません。病気かもしれません。その代わり他人の「やりたい」と思う気持ちを誰よりも理解出来る自信があります。自分がそうだから。
「こんな事業を起こしたい」「こんなイベントをやってみたい」「こんな商品を開発したい」・・・・。色んな人の色んなやりたい気持ちが痛いほど分かります。
自分には何が出来るのだろう。お客様や仲間に何をしてあげられるだろう。毎日そんな事を考えながら働いています。

高校時代に一緒に狸小路で歌ってくれた友人のT君はその後建築会社の社長さんになり、当社あみだ堂の本店店舗の改装の全てを請け負ってくれました。本当に感謝しています。
高校時代の僕達をずっと応援してくれていた共通に友人K君はIT会社の社長さんになり、あみだ堂子どもチャリティー事業部のホームページを制作してくれました。本当に感謝しています。
数年前、3人で食事をして、二件目にカラオケバーに行きT君と10数年ぶりに歌いました。少し白髪も混じったお互いを見て、「きっと今思っていることは同じだろうと 」お互いに思っていたはずです。
これからも多くの人と出会い、色んな事があると思います。人との出会い。そして自分の「やりたい」と思う気持ち。それ以上に他人の「やりたい」気持ちを大切にこれからも生きていきたいと思います。

机の上を片付けで今日は帰りたいと思います。それでは

あみだ堂 能呂慎太郎



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