2020.06.10
映画「ジョゼと虎と魚たち 」を思い出して
妻夫木聡さん主演 2003年公開の映画「ジョゼと虎と魚たち」
ごく普通の大学生と障害のある女の子との恋愛映画。
この映画の凄いところは、障害者を特別扱いせず描いている点です。
主人公の大学生は女性にだらしのない性格で、この障害者の女の子に出会い始めて女性を真剣に愛することを知る。
一方、この障害者の女の子は家の中に閉じこもりがちで、「海」もまともに見たことも無い。そんな女の子はこの大学生と出会い外の世界を見る事の喜びを知る。
映画の中でこの大学生をめぐり、普通の女の子と障害のある女の子が‟障害”の事で堂々と喧嘩するシーンがある。
私が考える平等は、お互いの違いを認める事だと思います。
逆説的に言うと「平等ではない」事を認める事が「平等」だと言う事です。
分かりやすく‟ご飯”で例えると、
体の大きな人と、体の小さい人では満腹になる‟ご飯”の量が違います。
世間一般では同じ量の食事を提供する事が「平等」というイメージが強いですが、その人の満腹で揃えるのであれば、
例え与えられた‟ご飯”の量が違っても「平等」なのです。
そんなことを思い出しました。
あみだ堂 能呂慎太郎
ごく普通の大学生と障害のある女の子との恋愛映画。
この映画の凄いところは、障害者を特別扱いせず描いている点です。
主人公の大学生は女性にだらしのない性格で、この障害者の女の子に出会い始めて女性を真剣に愛することを知る。
一方、この障害者の女の子は家の中に閉じこもりがちで、「海」もまともに見たことも無い。そんな女の子はこの大学生と出会い外の世界を見る事の喜びを知る。
映画の中でこの大学生をめぐり、普通の女の子と障害のある女の子が‟障害”の事で堂々と喧嘩するシーンがある。
私が考える平等は、お互いの違いを認める事だと思います。
逆説的に言うと「平等ではない」事を認める事が「平等」だと言う事です。
分かりやすく‟ご飯”で例えると、
体の大きな人と、体の小さい人では満腹になる‟ご飯”の量が違います。
世間一般では同じ量の食事を提供する事が「平等」というイメージが強いですが、その人の満腹で揃えるのであれば、
例え与えられた‟ご飯”の量が違っても「平等」なのです。
そんなことを思い出しました。
あみだ堂 能呂慎太郎